なんでもDIY人、ふじやん
1955年生まれ(69歳)、血液型A型、兵庫県神戸市西区生まれの長男
15歳から母子家庭で育ちました。
兼業農家の長男で15歳から父親のかわりに耕うん機作業などをしていました、苦労しました。
この苦労経験がなんでもDIYにつながったと思います。
現況
3回手術して人工肛門を付けている92歳の母親をデーサービスを利用しながら自宅介護しています。
古くなってしまった母親所有のアパートのメンテナンスと管理をしています。
linuxで自分に役立つシステムの開発をしています。
Asterisk(フリーのPBX)を開発完了して、どこでも内線通話(無料)はもちろん外出先(スマホ)から光電話経由(全国3分10円)で通話できるようにしています。また自宅で企業のようなIVRシステムで動いています。
得意な分野
パソコンは25歳からプログラムの開発をしていました。
自作(DOS/V)パソコンの組み立て販売をしていました。
包装容器卸売業の販売管理システムを開発しました。
なのでパソコンについては詳しいです。
印象に残っているDIY歴
Yahooオークションでジャンク扱いの灯油浴室暖房機を妻の実家に取り付けた。
室内機の取り付けパネルがなかったのでエアコン用を切断溶接して利用した。
取り付け部品が足らなかったので給湯器の部品を流用した。
アパートのDIY
エアコンの取り付け
給湯器の取り付け
IHの取り付け
車のDIY
Yahooオークションで10万キロ以上走行している車4台を整備した。
学歴
兵庫県の名門、兵庫県立兵庫工業高校の工業化学科を卒業(25回生)
職歴
卒業後、川崎製鉄に入社 ボイラーで所内に蒸気を供給する現場間接部門で約1年間働きました。
神鋼環境エンジニアリングに入社、神戸製鋼所の中央研究所で公害分析の仕事をしました。
神戸製鋼所に入社、中央研究所の第一研究介在物研究室で化学分析の仕事をしました。
鉄の連続鋳造の研究室に移りました。ここでパソコンを使い始めました(25歳位から)。ここには当時、株式会社神戸市といわれた神戸市長、宮崎辰雄さんの次男さん宮崎純さんがいました。同じグループで仕事をしました。宮崎さんは現在、神戸製鋼所の執行役員になっています。
中央研究所の資材調達部門で調達の仕事をしました。
バブルの後半時期に新設の西神総合研究所(現在の名称は神戸総合技術研究所)に転勤になりました。ここで調達業務の責任者で過ごしました。そのかたわらパソコンに関連した業務をしました。西神総合研究所の光ファイバー網と所内LAN網を企画、導入しました。また会議室予約システムのLAN化は私がLAN化するプログラムを書きました。
35歳で神戸製鋼所を退職後しました。
自作(DOS/V)パソコンの組み立て販売をしました。
包装容卸売業の販売管理システムを開発、サポートしました。
アパートの建設
会社員の時にアパートを3棟建設しました。
退職後、1棟建設しました。